ニューヨークのヘリ墜落事件で思い出したヘリとジェット機墜落事故



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今朝のニュースを見てびっくりしましたね。
あのニューヨーク中心部のビルの屋上にヘリが墜落して
あたり一帯が騒然としている・・


という今朝一番のテレビのニュースを見て
びっくりしましたね。

それと同時に

わたしが住んでいる沖縄で起こった

14年前のヘリの墜落事故
60年前に起こった宮森小学校ジェット機墜落事故

を思いだしました。


また、ついこの間の6月4日もヘリからの落下物が近くの中学校の
運動場にありました。


しかも、
運動場では子供たちが部活の練習などしている時の
ことですから・・・

そのほかにも普天間第二小学校や緑ヶ丘保育園でも
米軍機の部品落下やトラブルが相次いでいます。



このような事件が沖縄では復帰以前から幾度となくあります。

地元紙では大きく取り上げますが、
全国紙ではほとんど取り上げられないようですね。

また、全国放送のテレビでも
ほとんど取り上げられていないようです。


14年前沖縄国際大学でべ軍ヘリが墜落、周辺は騒然!

    

沖縄国際大学は自宅から10分ほどのところにあり
その当時、米軍による交通規制や報道規制を行い、

地元の警察もが墜落現場を検証することもできず一切タッチすることが
できずにいたことを覚えています。

この時も大学のグランドでは部活をしていた学生もいたり、
夏休みで付近の子供たちも大学周辺で遊んでいたんですね。

その時小学生だったわたしの息子もヘリが墜落する様子を
数人の遊び友達と目撃しています。

また、ヘリの墜落時に周辺住宅へ飛び散った機体の破片や
部品の一部などがドアをつきやぶっったり、庭先や畑に落ちたりしてました。

大学周辺は住宅地でもあり保育園とか公民館、事業所、商店など
たくさんあるなかで

乗員の米兵3人が負傷しただけで奇跡的に学生や周辺住民に犠牲者が
出なかったことが不幸中の幸いだったといえますね。

現在、ヘリ墜落事件を風化させないために墜落現場には
メニュメントが建っています。


宮森小学校へジェット機墜落事故から60年



1959年6月30日宮森小学校や周辺の住宅地に
戦後の沖縄で過去最大の米軍ジェット戦闘機が墜落した事件がありました。

その時、児童12人を含む18人が犠牲になり、負傷者200名を
超えていたということです。

パイロットは墜落寸前に脱出して助かったとのこと。


60年前のことですからわたしも幼少だったので
覚えていませんが・・

当時、宮森小の生徒だった方たちへ聞き取り取材をして
記録を残している「石川・宮森630会」というNPO団体があります。

そのことについて5月25日に
沖縄テレビで開局60周年記念として

「60年目の宮森-失われたピースを捜して」という
番組がありました。


ヤフーニュースでも取り上げられています。

わたしもその番組を見ましたが、
真っ黒くオイルにまみれた校庭や燃えて崩れた校舎など・・

黒焦げになった小さな遺体に泣き叫ぶ親やわが子を捜し回っている親、
血だらけになって子供たちを介抱していた教師たちなど・・

ほんとに悲惨な状況だったようです。


その時も現場を取材する新聞記者やカメラマンに対して
米憲兵隊は銃剣を向けて「フイルムを出せ」と威嚇をしていたようです。


石川・宮森630会があの時のことを風化させないという意味もあり
当時、在籍していた子供たちに取材を試みているようですが、


その当時在校生だった子供たちも今では60代~70代以上・・
あのときの悲劇を忘れたくて一切語らない人もたくさんいるようです。


沖縄では米軍機による落下事故や墜落事故が
復帰後49件ありますが、そのほかに墜落事故に含まれないものもあります。

詳しくは地元紙の琉球新報
掲載されています。




まとめ


ニューヨークの中心部で起きたヘリ墜落事故で
沖縄と関連付けて考えてしまいましたが、

どうしても沖縄に住んでいる以上、東洋一といわれる嘉手納基地や普天間基地が
ある以上考えずにはいられないですね。



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